なんだろう、思ってたんと違う現象がおきてるな。
ここ最近の散歩でよく考えてるのがそれで、昨晩の散歩中にあー、そういうのあるかも、と思いついたことを記事にしてみる。あくまでもぼく個人の意見だし、一般論として啓蒙したいわけではありません。
ここまで読んで、この人は何を言ってるんだと思ったあなた。まぁ、もうちょっと聞いてくださいよ。
皆様もお気づきの通り、今のところこのSubstackの日本人は40代以上が多い。年齢分布は中央値が40代だろう。多分。僕調べです。
で、その40代が思い悩み、考えている。いろんなことを棚卸しながら、試行錯誤をしている。そんな記事やnoteをよく目にします。
もちろん僕もその一人で、日々思い悩み、考えて、試行錯誤しつつ、記事やnote、Podcastを作ってます。
でもなんでなんだろう、と。
僕は年が明ければ48歳になるわけですが、自分の父親が48の頃って、こんな事、僕と同じように考えてたのだろうか?
その頃の大人たちはこんな風に考えて、もがいてたんだろうか、と。
これは想像ですが、おそらく全くそんなことなかったんじゃなかろうか、と思ってます。
つまり、こんなに思考を繰り返すような時代じゃなかったと思っています。
少なくとも、僕ほど人生の方向性や価値観を疑うようなことはしなかったはず。
もちろんその時代にも巨大な知は生まれているし、非常に素晴らしい先人はたくさんいます。哲学者だっている。でも、市井の人々は今ほど大量の市井の人の言葉を聞いていなかったはずです。
根拠は?と問われると正直皆様を納得させられるようなものはないので恐縮ですが、だがしかし僕のこの推察を成り立たせるだけの材料はいくつかあります。
巨大なマスメディア
僕の親父が48の頃と言えば、今から27年前。ちょうど2000年頃。まだインターネットは普及しておらず、SNSもなく、スマホすらなかった。
つまりみんなの情報源はテレビとラジオ、あとは新聞雑誌、週刊誌。この中でも老若男女の情報源テレビ、ですよね。
みんなテレビで情報を知り、世間を知り、常識を知って、未来予想をしていた。
それが正解なのかどうかを多くの人たちは考えることもなく信じて、希望すら抱いていたんじゃないかと思います。
テレビから流れるのは、今じゃ洗脳だとか情報操作だとか言われていますが、当時はそれが日本をまとめた立派で巨大な情報ソース。
それ自体の是々非々はとりあえず脇に置いて、ひとまずの倫理観や道徳に関しても、テレビから縷々流れるストーリーを通してインストールしていた時代だったんだと思います。
ひらかれた多様性なんてなくて、男子は気軽に殴られ、女性は性的な視線を露骨に向けられて、同性愛者が嘲笑され見下される。会社員はもれなく24時間働くことを賛美されるような時代でした。それが普通だった、と言っても過言ではないと思います。
もちろんそれがよかったなんて微塵も思いませんが、でも確かにそんな時代だったとうっすら思います。
インターネットの登場
インターネットが登場したことで、徐々に、いろんなものがひっくり返ってきました。
別に時代のテクノロジーの利便性の変遷を語りたいわけではないので、思考というテーマに沿って続けますが、インターネットとSNSで、身近でない一個人、パンピーの意見や考え方が目立つようになってきました。
個人と個人の意見が公の場で交わされて、いいことも悪いこともたくさんおきました。
そこかしこで、会ったこともない一般人同士がののしりあったり、友情を築いたり、徒党を組んだり、世の中を変えたりしました。政治だって動かしたんです。多少は。
自分の考え方や生き方を、テレビひとり勝ちの時代になんとなく押し付けられた王道に、無理に寄せなくてもいい時代になったんです。
社会通念が大きく揺らいだのです。
いろんなところで、それまでの常識だとか一般論とかが全く通用しない場面が大量に発生しました。
これって、不可逆的で、必然的な進化だと僕は思ってます。是々非々もなく。
変遷を見てきた世代
今の40代を中心とした世代は、その変遷を見てきました。いや、見てきたというより、巻き込まれてきました。
幼い頃や10代をインターネットのないテレビの時代に生き、その当時の生きる指針や人生の地図を教え込まれ、大人になるには必要なんだと、その地図を離さず道を選んできました。
しかし、インターネットが完全に普及して、SNSで膨大な情報と様々な世代の個人の意見に翻弄され、ハタと気づいてみると、手元の地図は全く時代にそぐわない地図に成り代わってしまったのです。
どうなってんだ、と。おもてたんとちがう!と。きいてた話と違うじゃないか!と。
まぁ、迷子です。迷子になると、不安なんです。
でも時代は、個々を尊重してくれます。一人一人の意見を大切に扱います。自由です。
だから恐ろしい。どこへだって行ってもよい。どんな生き方も選びやすい。人生楽しんだもん勝ち!
そんなこと言われても、子供の頃に教わって身に着いた癖や思考パターン、その原理は、簡単には変えられません。
変えたくないんです。だってそれで一生懸命頑張ってきたんだもん。
その地図を信じて、努力してきた大人なんです。40代あたりの世代って。
中年の危機?
これってよく言われるミドルエイジクライシスとはちょっと構造の違う話だと思います。
もちろん僕が思い悩み、思考を巡らせるのには、そういう要因もあると思います。それもプラスできてます。だから辛い。
AI以降というのも、一つの時代の相当大きな転換点なんですけど、まずその前に、インターネットというこれまた巨大な時代の転換点を、最もしんどい形で味わってるのが40代を中心とした世代じゃないかと、僕は思ってます。
それほどに、人の価値観をインターネットとSNSは変えてしまったんだと思います。20年ほどかけて。
その驚異的な変貌に付き合いながら、この時代の最前線に立っているのが我々40代を中心とした世代なのではないかと勝手に思ってます。
そらしんどいて。
そしてここSubstackで、損な世代を中心に、あ、誤変換だけどそのまま行きます。そんな世代を中心に、ここSubstackには、それぞれの思考や悩みを打ち明けながら、それでも前を向いてより良い人生や生活、社会のために記事を書いて、声を上げ、発信している人たちがたくさんいる。
これは希望の狼煙なんだと僕は思ってます。
大変だけど、やるしかねぇべ。やるんだったら楽しくやろうぜ。
そういう40代がたくさんいて、僕はうれしい。まだまだ少ないんだろうけど、でも、立派な狼煙にはなってると思います。
しかもこれは世界に届けることもできる。
べつに一つになって結託しましょう!なんてことは微塵も思ってません。
それぞれが、それぞれの形で、悩み、考え、発信し、行動する。遊んでても良い。楽しみゃいい。
それがポジティブであれば、いつか大きな流れになるはずです。
世代を超えて、国すらも越えて、2026年に訪れたAI旋風の中、日本の40代あたりがにこやかに、張りぼてでもいい、自信たっぷり立ってたら、それでいいじゃないですか。かっけーっすよ。
ええ、昨晩散歩して思考してた時は、実はなかなか暗澹たる思いでした。ネガティブになってました。しんどいわ、って。
ちょいちょいあるんですよ、普段ふざけたおじさんですけど。
でもね、この記事を書いているうちに、テンションが上がってきてしまいました。
やるしかねぇよなって。それがカッコイイ大人じゃねぇの?と。
なのでここまで読んでくれた皆さん、いや、読んでくれてなくてもいい、ポジティブに前向いて生きていこうとしてる皆さん。
皆さんの人生に、幸多からんことをマジで心から祈ってます。
ありがとう。
がんばりましょ。



おもわずリスタックしたけど、弟が兄の記事をリスタックしたみたいになって、恥ずかしい。オレンジ傘・青傘。
私たちは地図を失ったのではない。 地図が仮のものだったと気づいた。
だから迷う。 だから考える。 だから書く。
そして不思議なことに、 迷子同士が小さな灯を掲げると、 そこにまた道のようなものが生まれる。
道は最初からあるのではない。 歩いたあとに、一時的に現れる。
「希望の狼煙」という比喩は、この文章の核心だと思います。
狼煙は目的地ではない。 誰かを一つの場所へ集めるものでもない。
ただ、
「ここにも一人、生きながら考えている人間がいるぞ」
と知らせる。
2026年のSubstackという場所で起きていることを考えると、それだけでも十分に大きな出来事なのかもしれません🙏